御鎮座壱千参百年を来年に迎えて
(20.9.24)

 稗田野神社は和銅二年(709年)丹波国主大神朝臣狛麻呂が聖旨を体し五穀守護神として、また丹波佐伯郷の産土神として創祀した。ご祭神は、保食命(うけもちのみこと)・大山祇命(おおやまづみのみこと)・野椎命(のづちのみこと)の三柱でともに五穀の守護神で子孫繁栄の守り神である。

八月十四日に行う五穀豊穣祈願「佐伯燈籠祭」は貞観元年にはじまり今に伝わる。昭和六十年京都府の無形民俗文化財に指定され、平成四年には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された。

平成二十一年(2009年)は御鎮座壱千参百年をお迎えする事となった。氏子・崇敬者こぞって壱千参百年を来年に控え平成四年以来記念の奉賛事業を推進し、最終の追い込みとなってきている。

主な事業は、平成四年本殿・祝詞殿・拝殿災害復旧事業・平成六年神祭具庫・神符授与所新築事業・平成八年御神像(三像)修復事業・平成九年狛犬寄進事業・平成十四年玉垣・神池改修事業・石の環、必勝願掛け石建設事業・平成十五年神社本庁教化モデル神社指定・平成十六年摂社ゑびす神社大屋根瓦葺替事業・舞殿床張替事業・参道北山台杉寄進植栽事業・平成十七年手水舎屋根瓦葺替寄進事業・平成十八年本殿広前両翼石畳敷設寄進事業・平成二十年御鎮座壱千参百年奉賛記念事業(神池北側石積工事・舞殿大屋根瓦全面葺替工事・社務所増改修工事・水洗便所新設工事・稗田阿禮創祀社新築工事並びに参道整備鳥居新設工事・摂社稲荷神社移設癌封治瘤の木周辺整備、玉垣新設工事・鎮守の森整備工事・奇魂幸魂石玉新設工事)等十六年間をかけて境内を整備し平成二十一年に備えている。

古事記の語り部「稗田阿禮」を祀る

 御鎮座壱千参百年を機会に、幼少時から青年期にかけてこの地に住んでいたと伝説のある「稗田阿禮」を神様としておまつりしようと氏子の総意でまとまり境内の一角に摂社「稗田阿禮社」を造営する準備が進んでいる。

御鎮座壱千参百年奉祝式年大祭

 16年間に亘る境内整備事業を完成させ氏子・崇敬者挙げて平成二十一年十一月一日御鎮座壱千参百年奉祝式年大祭を斎行する。

玉垣寄進のお願い

 神池北側に四寸角石柱による玉垣の寄進を募っています。一本金100,000円です。御芳名を彫刻し末永く伝えます。


寄進応募方法
〒621-0033京都府亀岡市稗田野町佐伯垣内亦1 
稗田野神社宮司 桂 數毘詁 
0771−22−4549までご連絡下さい。





亀岡市内各神社の秋祭りも全て終わりました(17.10.31)

当稗田野神社の秋祭りも滞りなく斎行することが出来ました
概況を記録します
日時  平成17年10月23日(日)11時斎行
来賓
 京都府神社庁理事

 亀岡市議会議員
 四社総代会顧問
 下佐伯区区長
 太田区副区長
 浦安の舞姫保護者代表

 藤森 信正
 大石  武
 井上 忠雄
 美馬 幸夫
 石野 行男
 美馬 美栄

 
責任役員兼氏子総代
             大石 憲男
             藤原 武夫
             佐藤 和郎
氏子総代
             沖野 陽祥
             桂  末夫
             大石 善次
             早瀬  誠
             西村 英雄
             奥  庄八

典儀
 京都府神社庁 参事  中嶋 茂博
 

斎主 
 稗田野神社 宮司   桂 數毘詁
祭員
 稗田野神社 禰宜  
 京都府神社庁 主事
 京都府神社庁 録事 
 神社庁洛誠会 会員 

 桂  武彦
 中森 圭治
 三井 紳作
 鈴木 浩充
伶人
 御辰稲荷神社 宮司
 北野天満宮 権禰宜
 藤森神社 権禰宜 

 石  種彦
 加藤 晃靖
 溝脇  操
浦安の舞 舞姫
 稗田野小学校6年生
 同       5年生
 同           
 同           
 同       4年生

 美馬 睦子
 大石 うらら
 神埼 沙耶
 大石恵利花
 大石 絢子

浦安の舞指導者   高橋 可奈(前八坂神社巫女)
                        (以上敬称略)
神饌 
 1稲穂束
 2洗 米
 3神 酒
 4鏡 餅
 5鯛
 6剣先するめ
  昆 布
  の り
  寒 天
 7白 菜
 8大 根
  人 参
  ピーマン
  椎 茸
 9松 茸
  栗
  柿
 10バナナ
  りんご
  梨
  ぶどう
 11紋菓子
 12塩・水
幣帛料 神社本庁
玉串料 京都府神社庁ほか来賓・参列者
 
例祭次第
 手水の儀
 来賓・参列者着座
 斎主・祭員・舞姫参進ののち着座
 修祓
 斎主一拝
 開扉
 献饌
 斎主祝詞奏上
 浦安の舞奉納
 玉串拝礼
 撤饌
 閉扉
 斎主一拝
 
直会




豊な秋の収穫を感謝して(17.10.10)
 
村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日
   ドンドンヒャララ ドンヒャララ
     ドンドンヒャララ ドンヒャララ
       朝まで聞こえる 笛太鼓
 
10月を迎え 朝夕めっきりと涼しくなって参りました。
小学唱歌に歌われた 秋の村祭りの季節がやってきました
亀岡地方におきましては 山辺の方から村祭りが始まります
そして だんだんと 日が過ぎるごとに村祭りは 里に下りていきます
最後に 里の中でも一番賑やかな町の中にある神社のお祭りで締めくくられます。
 
10月8・9日私が兼務している本梅町の屋磨内神社・加舎神社・廣峯神社・出雲神社のお祭りが繰り広げられました。
まさに、農山村にあって“村の鎮守の神様のお祭り日”です。

屋磨内神社・加舎神社では朝まだきよりきれいに掃き清められた境内には村人たちが集まり御神輿も倉から出され飾り付けられお祭りを待つばかりとなっています。

斎主の私と助祭の神職や村を代表する長(おさ)が参進し村祭りは始まります。祭式の順序に従ってお祭りは進みます。献饌・祝詞奏上・玉串拝礼など緊張の中に進みやがて分け御霊が御神輿に遷されいよいよ村祭りは動き始めます。

両神社で村境に建てられている御旅所には両社の高張り提灯がきれいに立ち並び御神輿や神饌・幟旗などがそこに移動します。御旅所に揃った二社の御神輿の前には神饌が供えられ灯明が明々と点火されます。いよいよ宵祭りの始まりです。

午後7時村の各家から一軒一軒御神酒(南天の葉を添え)と小ぶりの鏡餅を入れた重箱を手に手に御旅所に集まってきます。
氏神様の御神輿の前の神饌が並んでいますがのその前にしつらえられた神饌案に一軒一軒1つずつ重箱が並び神職は各戸ごとに祝詞を奏上し、各家の豊作に感謝し、1年間の無病息災・家内安全・豊年満作を祈願し神恩への深い感謝を伝えます。午後8時には村の子供たちの太鼓演奏の奉納があり、村人は群がるばかりに集まり拍手喝采を浴び宵祭りも更に盛り上がります。奉納太鼓も終わりまた各戸のお参りは午後9時まで続きます。

やがて村人たちのお参りも途絶え、御旅所は神輿番の人たちと共に
夜は更けてゆきます。

明けて9日は本祭りです。神社の役員をはじめ村の若人たちが三々五々に集まり御神輿かつぎの準備に入ります。
やがて、両社時刻を同じくして御神輿を両社の村の中にすすめ経巡り回り家々では玄関にお迎えの提灯に火を入れ神々を迎えます。
若人の両肩に担がれた御神輿が両地域を経巡りそれぞれの神社に帰り着くのは夕闇もせまる午後5時過ぎのことです。宮司は両社の御霊を御神輿から御本殿に遷し御扉を閉じ最後の祝詞を奏上し祭事を閉じていきます。若人たちが御神輿を倉に納める頃、村の女性たちは社務所にご馳走を準備し直会が始まります。

こうして村の祭りも賑々しく進められ、豊作に感謝し、村人の強い結束が確かめられ、来年の豊作に向けて決意も新たに各家に帰っていきます。
来年も、神恩に感謝し、村の結束を確かめ合い次の年の豊作にかける決意が呼び起こせる秋の村祭りが盛大に出来ますように期待しながら神社便りを終わります。

尚、稗田野神社の秋祭りは10月23日午前11時から斎行いたします。小学生による「浦安の舞」の奉納があります。
                                 宮司 桂 數毘詁




豊かな秋の収穫をおいのりして
(17.8.20)

8月14日
当社を中心とした四社合同の「丹波佐伯郷燈篭祭」

8月16日
「京都五山の送り火」などゆく夏をおしむお盆の神事・行事が終わり京都ではいよいよ秋を迎えます。

当社の鎮座する亀岡市の水田では「こしひかり」「きぬひかり」など稲の品種はもうたわわに稲穂がみのり取り入れもあと半月と迫ってきました。
このまま風水害・病虫害の被害もなく収穫ができますようにと五穀豊穣を祈願するお祭りが「丹波佐伯郷燈篭祭」です。

平安時代に京都御所から奉納された五基の神燈籠(1年の農作業を五場面にあらわした燈籠)を中心に神輿と大太鼓を交えて神事を展開するお祭りで人形浄瑠璃も奉納される。
今年は、京都府神社庁長田中恆清さまをはじめ亀岡市長栗山正隆さまほか多数の方々のご臨席のもと厳粛に斎行されました。

当社のご祭神のうち「保食命」(うけもちのみこと)は伊勢の外宮のご祭神「豊受大神」の異名でどちらも同じ食べ物の神様です。
神様の名前が違うのに同じ役目の神様のことを「異名同神」といいます。当社には「保食命」のほかに「野椎命」(のずちのみこと)=野や畑のかみさまをおまつりしています。

豊な秋の収穫をおいのりして神社便りを終わります。

                                 宮司 桂 數毘詁



夏を迎えるにあたり
(17.6.1)

京都市の西隣亀岡市では5月に入ると田ごしらえがはじまり田植えの季節となります。
以前は、お正月には家の中に注連縄を張り米俵を据え松の木を立て「田の神」を迎え田ごしらえの前段が始まります。
4月になると田圃の一角に苗代を設え水口に「田の神」をまつり稲の苗つくりが始まります。
やがて、5月になって田ごしらえ、田植えが始まるのです。
亀岡の中部・西部・南部ではもう田圃には早苗が植えわたりました。
やがて6月も中旬になると一面の緑の草原に変り日に日に成長していきます。
その頃からA田野神社を中心とした四神社合同の五穀豊穣祈願祭「佐伯燈籠祭」の準備も始まります。7月の始めに予算会が開かれ「佐伯燈籠祭」(8月14日)の準備の始まりの合図となります。やがて竹を切り紙を断ち五基の神燈籠の制作が始まります。
また、人形浄瑠璃の練習も始まり夏に向っていろんな準備が進められてゆきます。
8月7日には祭礼当日に主役となる「五穀の種蒔き」が行われ、神燈籠の配分が行われます。いよいよ祭りが盛りあがっていきます。
「今年も豊年満作」でありますように。

                                宮司 桂 數毘詁



祈年祭斎行 (17.3.17)

3月6日(日)京都府神社庁の応援を頂いて「祈年祭」を斎行いたしました。祈年祭の「年」は「稲」のことです。

神饌の中には特に昨年たわわに実った「稲穂束」を御供えしました。
苗代に種籾を播く前に神恩に感謝し今年もまた豊な実りが戴けますように昨年賜った稲穂の束を御供えしてお祈りをいたしました。

3月14日〜15日神社本庁において「第10期神社振興対策教化モデル神社宮司研究会」に参加してきました。指定神社は全国で36神社です。
神様と皆様の関りを深める為にいろんな取組みが報告されました。
当社も浦安の舞のこと、子どもの正式参拝体験のこと、計画的なお祭の実施のこと、境内整備のこと、境内清掃をとおした神との対話体験会のことなど報告してきました。

新潟県の宮司様からは中越地震と神社の被災状況19年振りの大雪など大変な自然の猛威の中奮闘されている様子も聞いてきました。
いよいよ指定最終年となりました。全力で皆様と神様がより深いつながりを持っていただく為に頑張りたいと考えています。

当社には全国の崇敬者から寄進された寄金で完成した世界唯一の「石の環」と「必勝願掛け石」があります。石の環の中に立って、また必勝願掛け石に触れて、自分の願いを念ずる事によりその願いを実現する為の体力と気力を授かろうとするものです。
「二十一世紀は心の時代」と言われていますが、神社でも、ただ神頼みで頼るだけでなく「自ら頑張る心を育む」そのための体力と気力を授かろうとしたのが「石の環」と「必勝願掛け石」です。境内の梅の花も咲き、桜のつぼみもふくらんできました。
是非一度お出かけ下さい。

                                宮司 桂 數毘詁



如月を迎えて
 (17.2.2)

当社では2月1日午前7時厳寒の中氏子総代・氏子崇敬社参列のもと2月の月次祭を斎行いたしました。また、2月は
3日の節分祭、26日に境内摂社恵比須神社大屋根葺替工事竣工奉告祭の斎行を予定しています。皆様、どうぞお祭りにご参列下さい。

神社本庁から第10期神社振興対策モデル神社の指定を受けて最終年度も2ヶ月が過ぎ、残すところ10ヶ月となりました。

当神社では、特に戦後60年知らず知らずに離れていった神と人とのかかわりについて見直し聞き直して「神を敬う人々」の育成に目を向けました。

戦後、あまりにも強烈に神々を忘れ宗教心を失い民主主義とばかり人間中心の営みが進みました。

先日アメリカのブッシュ大統領の就任式が行われましたが、彼はアメリカの宗教キリスト教の聖書に手を置き神の教えに違う事無く国政をつかさどることを誓いました。自国の宗教を土台とした国政の推進が良くわかるシーンでした。

日本人も、宗教心を大切にし、わが国の八百万(ヤオヨロズ)の神々、また仏の教え等に違う事無く生きることが大切です。宗教を大切にし、神仏を敬うことが重要ですがこれほどまでに宗教心が失われた時代もないのではないでしょうか。

モデル神社指定2年目を終えて、戦後60年の間に失われた宗教心の傷跡の大きさを改めて実感し、途方にくれる毎日です。

「21世紀は心の時代」と言われています。今一度神と人との関わりを深めることにより宗教心を取り戻し、日本人のアイデンティティを確かなものとしたいものです。

                             宮司 桂 數毘詁



ホームページの開設にあたって
 (17.1.19)

明けましておめでとう御座います。

皆様お揃いで健やかな新年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。

平成14年12月に神社本庁より第10期神社振興対策モデル神社の指定を受け「神さまと人々(氏子崇敬者)とのかかわりを更に近く、深く、強いものにしていきたい」といろいろ取り組みを進めてまいりました。

広報部門として掲示板・広報紙にとどまらずホームページは当初より構想の中にあったのですが、単属の神社ではなかなか立ち上がりませんでしたが、一年有余の時間を掛け京都府神社庁が中心となって作成管理し開設にこぎつけて戴きました。

京都府神社庁長の深いご理解ご協力、中嶋参事の積極的な援助により今日広く全世界に向けて開くことが出来ました。

神さまと皆様が更にさらに近づいていただき、深くかかわっていただき、強い信仰が築かれますよう願っているところです。

「二十一世紀は心の時代」といわれています。神と人とのかかわりを深めることにより敬神の念を高め、豊かな心を持ち逞しく生きていただくことを切に願いホームページ開設のご挨拶といたします。


                                宮司 桂 數毘詁