節分は、二十四節季の一番目・立春の前日で、冬の土用、即ち大寒の末日にあたり悪鬼邪鬼を祓って春を迎える最も盛んな行事となっています。
古来宮中では十二月晦日(みそか)に追儺(ついな)の行事が行われていましたが、室町時代ころから明の風習に倣って豆を撒いて鬼を追い払う習俗が一般化したと云われています。府下各神社でも節分の神事が行われています。(写真―平安神宮大儺の儀)
節分行事は、宇宙の万象を説く陰陽五行の思想に基く迎春呪術で、中国の古典『禮記(らいき)』には、土で造った牛を門外に出して冬を送り出す行事が記されています。
日本では隠れて形を顕わさないものを隠(おに)と云っておりました(平安時代の漢和辞典『和名抄(わみょうしょう)』)が、中国の土牛(どぎゅう)が日本に伝わって節分の鬼になりました。鬼(隠)は陰の気、即ち冬の象徴で、それを追い出して春の陽気を迎えるわけです。
鬼の褌(ふんどし)が虎(寅)の皮と云うのも、丑月(鬼・冬)から寅月(虎皮・春)を迎える呪術的意味を持っています。豆まきの豆は秋に稔(みの)る穀類で金気(陰)の象徴、これを火で炒(い)って春の障(さわ)りになるものを痛めつけ(火剋金)、鬼を撃つことを名目に豆(陰気)を棄てると云うわけです。
また、豆は金(豆)剋(こく)木 (雷)で雷避け、更には金(豆)は水を生ずるとされることから、お産に必要な水を生むものとして安産のお守りにもされています。
また節分につき物の柊(ひいらぎ)は文字通り冬の象徴木、鰯(いわし)は和製漢字で水気(魚)と冬(弱=水)を象徴しますので、これを徹底的に痛めつけ戸外にし曝(さら)して、鬼(冬・陰気)を追放する大切な呪物とされているのです。
因みに、五行の相生(そうしょう)・相剋(そうこく)は次ぎの通りです。
相生 木生火(もくしょうか)、火生土(かしょうど)、土生金(どしょうきん)
金生水(きんしょうすい)、水生木(すいしょうもく)
相剋 木剋土(もっこくど)、土剋水(どこくすい)、水剋火(すいこくか)
火剋金(かこくきん)、金剋木(きんこくもく)
なお、人の営みに欠かせない暦は、西欧では太陽暦、中東では太陰暦、中国・日本では太陰太陽暦が用いられていました。この上に夫々の生活文化が形成されたわけですが、日本では文明開花の一端として明治五年に太陽暦を採用したため、旧暦に基く伝統行事と新暦の季節感に大きなずれが生じる結果となっています。
参考―吉野裕子著『五行循環』『陰陽五行と日本の民俗』・西角井正慶編『年中行事辞典』 |