桓武天皇、仁明天皇の御勧請に依り奉祀せられし皇居御産土神なるを以て皇室の御崇敬特に篤く。殊に霊元天皇に於かせられては享保8年9月。同14年2月の再度行幸御参詣あらせられ、暦朝御即位大嘗祭の大儀を初めとして天下泰平御祈祷及び当社遷座祭には勅使、院使の御差遣あり。又皇子皇女御降誕の節、御胞衣納めの儀、或は御誕生日等禁中大小の御事ある時には必ず御使を御差遣幣帛料を奉り給ひ、維新後には明治10年2月、明治天皇京都御駐輦中勅使を参向せしめられ同廿五年には皇后陛下御代拝として女官を御差遣同廿6年6月常宮、周宮両内親王殿下御同列御参拝あらせられ、其他皇族の御参拝もしばしばあり、大正、昭和に至りては昭和天皇を始め秩父宮殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下各御成年式の際幣帛を献じ給ひ、或は又昭和9年9月廿一日の颱風被害に対しては宮内省より金壱封の復旧費御下賜あり、且皇太后宮職並びに各宮家(秩父宮、高松宮、久邇宮、東久邇宮、北白川宮、竹田宮)より風害復旧費御寄附あらせられ、近年に於ては昭和27年12月皇太子殿下(現今上陛下)より御成年式並に立太子札御奉告の幣帛を献ぜられ、又昭和43年1月不慮の災禍に因る御本殿の再建復興に際しては特に優渥なる思召を以て御内帑金を御下賜あらせられ、常陸宮、秩父宮、高松宮、三笠宮の四宮家よりも同様、復興の資として金壱封を御寄進あらせられ、又平成14年11月14日には皇太子徳仁親王殿下当社に行啓あり、後陽成天皇御寄進の御牛車並に所蔵古文書を視察、調査された。
以上は皇室の御崇敬事例であるが武門の尊崇も深く室町幕府、織田、豊臣、徳川将軍職の寄進も多く又御神徳を敬仰する一般の崇敬も所謂御霊信仰として全国にあまねき京都府下に於ては分祀三十余社に及び神祇史上特筆さる。
平安遷都にあたり延暦13年(794)桓武天皇さまが平安京の守り神として崇道天皇(早良親王)の御神霊をおまつりされたのが当神社のおこりです。当時天変地異や疫病の流行があいつぎ、それは非運の中に亡くなられた高貴の人々のたたりであるとされ、その人々の神霊をていちょうにおまつりすることによって、わざわいをなくそうという御霊信仰が生まれました。そしてそのおまつりを御霊会といい、京都の夏祭りの多くは御霊会ですが、当神社の祭礼はその発祥であります。以後井上内親王、他戸親王を始めとする十二柱の神霊がまつられ現在に至っていますが幾多の戦乱を経ながらも京都の市中の人々はもとより皇室又時時の施政者からも「産土神」「上御霊さん」と親しまれ敬われてきました。又、現在は上京区・北区にわたる一万三千戸の氏神様としても崇敬されています。