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御祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の御子で皇祖天忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)の御妃であり、天火明命(あめのほあかりのみこと)邇々杵尊(ににぎのみこと)の御母にあたる。別に天栲幡千幡姫命(あめのたくはたちはたひめのみこと)、萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)とも言う。
神名の「栲」は「たへ」と同じく、梶の木の皮の繊維で織った白色の布を指し、古の布の総称としても用いられる。「幡」はここでは織物を意味し、命の機織の功を称えた美称として使われ「千千」は「縮」に通じて織地の精巧さを言ったものと考えられる。命は織物の巧みさ美しさを賞でられる神として技芸上達を願う人々の崇敬が篤く、七夕伝説の織女に機織をお教えになられたとも言われ、織物の祖神とされている |
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境内西側に、一棟に大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社の八社を祀った細長い社がある。 |
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大将軍八神社ともいい、素盞嗚尊と同一神とも
される牛頭天王(ごずてんのう)と八大王子(八神・素盞鳴尊の五男三女)を祀る。昔、平安京の四方に大将軍社を建て祀り、都の鎮護としたが、その一つ大徳寺門前に祀られた社を当社境内に遷し祀った。 |
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末社、日吉社(ひよししゃ)には近江の日吉大社(ひえたいしゃ)の御祭神、大山咋神(おおやまくいのかみ)大物主神(おおものぬしのかみ)お祀りしており、当社産土の地「上野村」に祀られていた上ノ御前、下ノ御前の両社を明治初年に合祀した。 |
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境内の少し小高い石垣の上に稲荷社と織田稲荷社がある。
「稲荷社」の御祭神は伏見稲荷大社と同じく宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)を祀る。素盞鳴尊の御子神であり「宇迦」は食(うけ)の意で、食物を治められた功績による御名である。
織田信長公を祀る「織田稲荷社」は、墓所阿弥陀寺の移転跡地、西陣元伊佐町に鎮座したが、これを昭和六十二年に当社境内に遷し祀った。 |
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境内の西側には加茂斎院、若宮を祀る若宮社がある。天皇の代理として一代毎に一人、未婚の内親王又は皇族の女性を斎王(さいおう・いつきのみこ)と定められ、各所で祀り事を行った。当時は奉斎の館を紫野斎院と言い、この境内の近くに在ったといわれる。若宮とは、霊が激しい祟りをなすとき、その祟りを弱めるため、より強い神格の下に祀った状態を総称してそのように呼んだといわれている。 |
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石畳の坂を上った中腹の地主稲荷社(じぬしいなりしゃ)には倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀る。両神は共に天孫降臨に関わる神として知られる。当社地を守護する地主神として祀られている。 |
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石畳の坂のつきあたり高台の上に月読社(つきよみしゃ)がある。伊勢神宮の別宮月読宮(つきよみのみや)の御祭神、月読尊(つきよみのみこと)を祀る。 |
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楼門の東側、東門との間に、
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
を祀る宗像社がある。
素盞鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれられた宗像三女神である。 |
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宗像社の社壇の側面の台石に長さ60p程の鯰の彫り物がある。この社は俗に「弁天さん」と呼ばれ、鯰はその神の使者として彫られたものと云われている。 |