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今宮神社
今宮神社

【本社】

中御座 大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座 事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)

【摂社】

疫 社 素盞鳴命(すさのをのみこと)


  • 健康長寿
  • 良縁開運
創始由緒
創始由緒  当社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。そしてこの時、京中の老若男女は挙って神輿に供をし船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれる。これが夜須礼(やすらい祭)である。長保三年(1001)ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に奉遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられた。これが今宮神社の起源である。創祀以来朝野の崇敬を集め、とりわけ徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、元禄七年(1694)には荒廃していた社殿の造営など大いに務められ、祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられる。明治二十九年本社殿を焼失したが、同三十五年に再建し、その後も西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。
主な神事・祭事
 1月 1日 歳旦祭  8月 7日 織姫社七夕祭
 1月19日 疫神社疫神祭 10月 8日19時〜 例大祭前夜祭
 2月 3日 節分祭 10月 9日10時〜 例大祭
 2月11日 紀元祭 11月11日 織姫社西陣の日
 2月17日 祈年祭 11月23日 新嘗祭
 4月(第2日曜日) やすらい祭 11月23日 大将軍社火焚祭
 5月 5日 今宮祭神幸祭 12月第1日曜日 地主稲荷社火焚祭
 祭礼期間中1日 今宮祭湯立祭 12月31日 除夜祭
 5月第2(3)日曜日 今宮祭還幸祭 毎月1日 月次祭
 6月30日 大祓(夏越祓) 毎日 日供祭
 7月23日 大将軍社例祭


やすらい祭
創始由緒
この祭りは、民俗無形文化財の指定を受け、「太秦の牛祭」「鞍馬の火祭」とともに、京の三奇祭の一つとされている。また京都の春の祭りのさきがけをなす祭でもありこの日が好天に恵まれるとその年の京の祭はすべて晴れると言われている。
紫野の疫(えやみ)社は、古来疫病除けの神として崇められ、諸国に悪疫が流行すると風流の装いを凝らして詣で鎮静安穏を祈願する習わしで、これを「やすらい祭」と呼んだ。一条天皇の御代正暦五年(994)都に疫病が流行し、船岡山にて御霊会が営まれたのを契機として、毎年盛んに行われるようになった。その後近衛天皇の御代久寿元年(1154)に祭のために京中の人々があまりにも風流を凝らし、その行装が華美に過ぎるというので、勅命により禁止された。それからこの祭も衰えたがやがて順徳天皇の御代承元四年(1210)復活し、応仁の乱で一時中絶はしたが、近世に入り東山天皇の御代元禄七年(1694)五代将軍徳川綱吉公の生母桂昌院により社殿の造営、神輿、御鉾の寄進とともに再興され今日に至っている。
花の精にあおられて陽気の中に飛散するという悪疫 を、囃子や歌舞によって追い立てて、花を欺く風流傘に宿らせ、紫野疫社に送り込み神威を仰いで鎮めるというのがこの祭の行法である。
行列は「練り衆」と呼ばれ、先立、鉾、御幣持ち、督殿(こうどの)、羯鼓(かんこ)、羯鼓廻し、大鬼、花傘、音頭取り、囃子方と続く。「花傘」は、「風流傘」「傘鉾」ともいわれ、径六尺(約二米)の大傘に緋の帽額(もっこう)を掛けた錦蓋の上に、桜、椿、山吹、柳、若松を挿したもので、この中に入るとその年の厄を除かれるといわれている。 祭礼日は、元来三月十日であったが、明治改暦以後四月十日となり、今日では四月第二日曜日と定めている。
創始由緒
やすらい人形


今宮祭

今宮祭 今宮祭
「今宮祭」は平安の昔の「紫野御霊会」に始まり、以来、由緒と伝統のある「西陣の祭」として、毎年五月今日まで営まれ続けている。
この祭礼は、中世まで永らく官祭として営まれたが、近衛天皇の久寿元年(1154)四月、「夜須礼(やすらい)」での今宮詣が余り華美に過ぎるということで禁止され、それとともに今宮の祭礼の方も衰えていったという。これは今宮の祭礼自体が禁止されたのではなく、祭礼に参加する京中の民衆が「夜須礼」に余りにも多く集まり、当時の政情も穏やかでない状態であった(保元の乱はこの翌々年)のでとめられたのであろう。それとともに「今宮祭」自体も衰えていった。そしてやがて中絶していったようである。

今宮祭  それから百年余りを経た正元元年(1259)には、「百錬抄」によると祭礼を興し馬長を献ずる礼があったと記されてあり、この頃から再び復活をみている。そしてそれ以後、祭礼は室町時代を通じて大体営まれていた。このことは、当時の「師守記」「愚管記」「続史愚抄」「康富記」「実隆公記」「御湯殿上日記」「後法興院政家記」「親長卿記」「言国卿記」「宣胤卿記」「後法成寺尚通公記」等々数多くの当時の諸記録から明らかである。
しかし、応仁の乱、戦国の兵乱後は神社の荒廃とともに「今宮祭」も再び衰退し、近世に入って「西陣」の抬頭と元禄期に桂昌院の肝いりによって再び復興して往昔のような華やかさと賑わいを取り戻した。
当時の記録によると元禄八年(1695)五月十五日の今宮の祭礼はまことに善美を尽くしたと伝えており、(基熈記)、風流を凝らした練りものや祭りの賑わう様或いは御旅所での「今宮お旅能」の行われた様などを誌したものも少なくない。 こうして「今宮祭」は、西陣とともに町衆による「西陣の祭」として、以降徳川期を通じて盛んに営まれ、今日に及んでいる。
今宮祭

祭礼は、毎年五月一日の神輿出し、五日の神幸祭、十五日(現在はこれに近い日曜日)の還幸祭とつづき、十九日の神輿おさめを以って終わる。神幸祭は「おいでまつり」還幸祭「おかえりまつり」とも呼ばれて親しまれている。神幸祭(しんこうさい)当日には、午前中の神事ののち午後神幸列を整え、車太鼓を先頭に、祭鉾、八乙女、伶人、御神宝等が続き相殿の御牛車、神輿三基の順に渡御、神職がこれに供奉、今宮通より所定の道筋に従って町々を巡幸し御旅所に入御する。還幸祭(かんこうさい)には御旅所に出御、所定の道筋に従って町々を巡幸し、夕刻東参道より本社に還御する。

今宮祭 今宮祭
なお、御旅所では祭礼期間中に「湯立祭(ゆたてさい)」が行われる。神輿の前庭に注連縄をはり、そのなかに大釜をおいて熱湯を沸かし、「湯立の舞」の神楽を舞って、巫女が笹の小束を持ち大釜の湯を参詣人にふりかける。聖なる湯に浴して不浄を去るため何人もこれに洩れまいとする。
また、祭礼の間は、昔から巡幸の道筋にあたる町々で門ごとに提灯をたて幔幕や小屏風を飾って巡幸を迎え、家々では「お配りもん」という「お重」の手料理を作り、それにおこわや鯖寿司或いはばら寿司を添え、客を招いて家中で氏神さんの祭を祝うという習わしがある。また祭礼中の御旅所は夜になると沢山の氏子の参詣と出店で賑わう。

例祭

今宮祭
10月8日19時〜 例大祭前夜祭(御神楽奉納)
10月9日10時〜 例大祭(東遊奉納)



「東遊」は舞を伴うところから「東舞」「駿河舞」ともいわれ、神事舞の中でも代表的なものとされている。 もとは東国で行われたものが、外来の楽の隆盛と共に奈良の都に伝えられた。一時衰退の傾向にあったが貞観三年(861)東大寺大仏供養の時に行われてより東国特異の曲節を持った東遊の歌舞は再び好尚に上り、その後寛平元年(889)賀茂祭に用いられ、東国の民間歌舞が平安の都の祭祀用の歌舞へと転じていった。その後朝廷の衰微にともない中絶したが、文化十年(1813)神事舞として再興され今日に至っている。



神社境内
神社境内
神社境内 織姫社
御祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の御子で皇祖天忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)の御妃であり、天火明命(あめのほあかりのみこと)邇々杵尊(ににぎのみこと)の御母にあたる。別に天栲幡千幡姫命(あめのたくはたちはたひめのみこと)、萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)とも言う。 神名の「栲」は「たへ」と同じく、梶の木の皮の繊維で織った白色の布を指し、古の布の総称としても用いられる。「幡」はここでは織物を意味し、命の機織の功を称えた美称として使われ「千千」は「縮」に通じて織地の精巧さを言ったものと考えられる。命は織物の巧みさ美しさを賞でられる神として技芸上達を願う人々の崇敬が篤く、七夕伝説の織女に機織をお教えになられたとも言われ、織物の祖神とされている
神社境内 八社
境内西側に、一棟に大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社の八社を祀った細長い社がある。
大将軍社 大将軍社
大将軍八神社ともいい、素盞嗚尊と同一神とも される牛頭天王(ごずてんのう)と八大王子(八神・素盞鳴尊の五男三女)を祀る。昔、平安京の四方に大将軍社を建て祀り、都の鎮護としたが、その一つ大徳寺門前に祀られた社を当社境内に遷し祀った。
日吉社 日吉社
末社、日吉社(ひよししゃ)には近江の日吉大社(ひえたいしゃ)の御祭神、大山咋神(おおやまくいのかみ)大物主神(おおものぬしのかみ)お祀りしており、当社産土の地「上野村」に祀られていた上ノ御前、下ノ御前の両社を明治初年に合祀した。
稲荷社・織田稲荷社 稲荷社・織田稲荷社
境内の少し小高い石垣の上に稲荷社と織田稲荷社がある。
「稲荷社」の御祭神は伏見稲荷大社と同じく宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)を祀る。素盞鳴尊の御子神であり「宇迦」は食(うけ)の意で、食物を治められた功績による御名である。
織田信長公を祀る「織田稲荷社」は、墓所阿弥陀寺の移転跡地、西陣元伊佐町に鎮座したが、これを昭和六十二年に当社境内に遷し祀った。
若宮社 若宮社
境内の西側には加茂斎院、若宮を祀る若宮社がある。天皇の代理として一代毎に一人、未婚の内親王又は皇族の女性を斎王(さいおう・いつきのみこ)と定められ、各所で祀り事を行った。当時は奉斎の館を紫野斎院と言い、この境内の近くに在ったといわれる。若宮とは、霊が激しい祟りをなすとき、その祟りを弱めるため、より強い神格の下に祀った状態を総称してそのように呼んだといわれている。
地主稲荷社 地主稲荷社
石畳の坂を上った中腹の地主稲荷社(じぬしいなりしゃ)には倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀る。両神は共に天孫降臨に関わる神として知られる。当社地を守護する地主神として祀られている。
月読社 月読社
石畳の坂のつきあたり高台の上に月読社(つきよみしゃ)がある。伊勢神宮の別宮月読宮(つきよみのみや)の御祭神、月読尊(つきよみのみこと)を祀る。
宗像社 宗像社
楼門の東側、東門との間に、
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
を祀る宗像社がある。
素盞鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれられた宗像三女神である。
鯰(なまず)の台石 鯰(なまず)の台石
宗像社の社壇の側面の台石に長さ60p程の鯰の彫り物がある。この社は俗に「弁天さん」と呼ばれ、鯰はその神の使者として彫られたものと云われている。
ご婚礼
当社は、一生に一度の大切なご婚礼のお時間を、ゆったりと過ごしていただけますように、基本的に一日お一組のお受付とさせていただいております。
ご案内
○お部屋
・結婚殿 新郎方16名 / 新婦方16名 新郎新婦を含め計34名が参列いただけます
・控え室 洋室1室
・着付室 和室2室
※着付室には空調設備がありません
○挙式料 80,000円
○挙式時間 約40分

式場
挙式パッケージ
やすらい花198,000円
(祈祷・衣裳・着付け・写真)
http://www.matumoto-photo.com/ima-k-1.html
衣 裳 ブライダルハウス オエ
着付け サロン・ド・コワフールキミ
むらさき野398,000円
(祈祷・衣裳・着付け・写真・料理)
http://www.matumoto-photo.com/ima-k-2.html
写 真 記念写真のご案内 松本写真館
京料理 京料理萬重
祝菓子 京菓匠鶴屋吉信

玉の輿守 徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院は、一説に西陣の八百屋に生まれ、その名を「お玉」と呼ばれたと伝えられます。三代将軍家光公の側室となって綱吉を生み、その後、将軍の生母として大奥で権勢をふるい、従一位の高位にまで昇り詰めた事から「玉の輿」の言葉の起源ともいわれています。桂昌院は故郷を忘れず西陣の興隆につとめ、その氏神である当神社が荒れていると聞くと、今宮神社再興に社領百石を寄進して社殿を修復し、四基の鉾も新たに作られました。その由来にちなみ、感謝を忘れない心暖かな幸を願うお守「玉の輿守」をはじめ、縁結のお守も授与しています。
玉の輿守
織物の美しさ巧みさを賞る神として、技芸の上達を願う女性の崇敬を広く集めています。七夕の彦星と織姫になぞらえ、天の川を越えて遠く離れた想いが届きますようにと祈る乙女の姿は今も変わりません。
今宮市手作りマーケット
  • 日時
    毎月1日 10:00〜15:00(5月は休み)
  • 場所
    今宮神社境内(所在地参照)
  • 問合せ
    TEL 075-871-3011 榊 昭男

地域のコミュニケーションを図り、誰もが参加でき、楽しい交流の場として役立てて行きたいと思っています。古木を組み立てた飾りや、季節の花々、新鮮な野菜や果物など、手作りの良さをいかしたスローライフを提案する品々でいっぱいです。 今は使っていないものも要らない人から要る人へ、古道具・日用雑貨・衣類・その他いろいろ集まります。みなさんに最大限に利用してもらえる実用的かつ環境にもやさしいフリーマーケットを目指しています。


アクセス

所在地:京都府京都市北区紫野今宮町21
郵便番号:603-8243
電話番号:075-491-0082
(受付時間9:00〜17:00)
駐車場:有り(普通乗用車)
市バス
46番
『今宮神社前』下車すぐ
1番・12番・204番・205番・206番・北8番・M1番
『船岡山』下車 徒歩7分
詳しくは当社に直接お問い合わせ下さい