御祭神
神功皇后(じんぐうこうごう)
御利益
安産 子育て 開運厄除
御香水
当社の名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、義直の各公は、この水を産湯として使われた。
絵馬堂には御香水の霊験説話を画題にした「社頭猿曳ノ図」が懸っている。
明治以降、涸れていたのを昭和57年復元、昭和60年1月、環境庁より京の名水の代表として「名水百選」に認定された。
遠州ゆかりの石庭
今から350年ほど前、小堀遠州が、伏見奉行に命ぜられた時、奉行所内に作った庭園の石を戦後移して作ったものである。
小堀遠江守政一が元和九年(1623)伏見奉行に着任すると、庁舎の新築を命ぜられた。
寛永十一年(1634)七月、上洛した三代将軍家光をここに迎えた時、立派な庭園に感心して褒美として五千石加増、一躍大名に列した。
伏見奉行所の庭園は遠州公にとって出世の糸口でもあった。
明治以降、陸軍工兵隊、米軍キャンプ場と移り変わり、昭和32年市営住宅地になったのを機に当社に移築した。
庭園の手水鉢には文明九年(1477)の銘があり、後水尾上皇が命名された「ところがらの藤」も移植、その由来碑も建てている。この庭園は中根金作氏(中根造園研究所長)の作庭にかかる。
石庭拝観料:大人200円・学生150円
休館日:不定期
拝観時間:朝9時から16時まで
1月1日 若水神事
1月7日 七種神事
2月中卯日 御弓始神事
4月17日 例大祭
4月中旬 御献茶祭
7月31日 茅の輪神事
9月第3土曜日 神能奉納
10月1日〜9日(年によって日の変更有)
神幸祭(伏見祭、花傘祭)
11月15日 御火焚祭
12月中卯日 醸造初神事 |
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本殿(国指定重要文化財)
慶長十年(一六〇五)、徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立された。(本殿墨書銘による)
大型の五間社流造で屋根は桧皮葺正面の頭貫木鼻や蟇股、向拝の手挟に彫刻を施し、全て極彩色で飾っている。
また背面の板面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵を描いている。
全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高く、昭和六十年五月十八日重要文化財として指定された。現社殿造営以降、江戸時代社殿修復に関しては、そのつど伏見奉行に出願し、それらの費用は、紀伊、尾張、水戸の徳川三家の御寄進金と氏子一般の浄財でもって行われた。大修理時には、神主自ら江戸に下って寺社奉行に出願して徳川幕府直接の御寄進を仰いだ例も少なくなかった。
平成二年より着手された修理により約390年ぶりに極彩色が復元された。
拝殿 (京都府指定文化財)
寛永二年(一六二五)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進にかかる。桁行七間、梁行三間、入母屋造、本瓦葺の割拝殿。
正面軒唐破風は、手の込んだ彫刻によって埋められている。特に五三桐の蟇股や大瓶束によって左右区切られている彫刻は、向かって右は「鯉の瀧のぼり」、すなわち龍神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く、琴高仙人が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている光景を写している。この拝殿は伏見城御車寄の拝領と一部誤り伝えられる程の豪壮華麗な建物である。
平成九年六月に半解体修理が竣工し極彩色が復元された。
表門(伏見城大手門)(国指定重要文化財)
元和八年(一六二二)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した。三間一戸、切妻造、本瓦葺、薬医門、雄大な木割、雄渾な蟇股、どっしりと落ち着いた豪壮な構えは伏見城の大手門たる貫禄を示している。特に注目すべきは、正面を飾る中国二十四考を彫った蟇股で、向かって右から、楊香、敦巨、唐夫人、孟子の物語の順にならんでいる。楊香という名の娘が猛虎より父を救った。敦巨は母に孝行するために、子供を殺して埋めようとした所、黄金の釜が出土、子供を殺さずに母に孝養を盡した。唐夫人の曽祖母は歯が無かったので、自分の乳を飲ませて祖母は天寿を全うした。孟子は寒中に病弱の母が筍を食べたいというので、雪の中を歩いていると彼も孝養に感じて寒中にも拘らず筍が出てきた。以上、中国二十四考の物語の蟇股である。また、両妻の板蟇股も非常に立派で桃山時代の建築装飾としては、二十四考の彫刻と併せて正に時代の代表例とされている。
金熨斗付糸巻太刀(重要文化財)
(きんのしづきいとまきたち)
綣太刀の形式は鎌倉時代からあるが、儀仗と兵仗とを兼ねて、金具は金胴魚子他に金紋を据え、鞘は金沃懸地とか、金梨子地とかいうような豪華なものになったのは桃山時代である。この太刀は豊公が願文に添えて当社に奉納したもので、いわゆる慶長太刀の代表作として知られ、中車は二尺三寸、備前長光の作。金具は赤銅寸付と称せられ、金の延べ板を印籠巻にしたもので、豪壮無比、さすがに太閣の奉納としてまことに相応しく、桃山時代の文化を物語る稀代の逸品である。目下東京国立博物館に委託出品している。
神輿(千姫神輿)
神幸祭の中心は神輿渡御である。今は三基であるが、以前は一基の神輿で巡幸していた。旧神輿は徳川家康の孫娘千姫の初延祝いに奉納された。通称「千姫神輿」は日本一重い神輿として氏子の自慢の一つであったが、余りにも重く、今は舁けない。神輿祭の期間のみ特別公開。
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