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古くから神威盛んな神社として、その神徳がたたえられ、崇敬が厚く、中でも家内安全、開運除災、武運長久のご神徳があります。
摂社
釆女稲荷神社 豊受姫命(家業繁栄)
末社
大神宮 天照座皇大神(崇敬の中心神)
八坂神社 須佐之男命(悪病退散)
猿田彦神社 猿田彦命(交通安全)
大物主神社 大物主命(縁結び)
大山祇神社 大山祇神(環境安全)
岩神神社 石凝姥命(病気平癒)
境外社
天満宮 菅原道真(学業成就)
加迫神社 天御中主命(家内安全)
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(しんぐうこうごう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)
武内宿禰 (たけのうち すくね)
家内安全
開運除災
武運長久
毎月 1日 月例祭
1月 1日 歳旦祭
1月14日 左義長祭
1月18日 厄除祭
2月 3日 節分祭
2月11日 建国祭
3月第1日曜 初午祭
4月第1日曜 春季大祭
6月6日 岩神祭
6月第4日曜 夏越大祓
10月15日に近い日曜 秋期大祭
11月各日曜 七五三詣
11月23日 勤労感謝祭
12月29日 大祓式
12月31日 晦日祭
綾部八幡宮は治承年中(1177〜82)小松内府三位中将 平 重盛 卿 が丹波の國守であった時、山城石清水八幡宮の別宮としてこの地に勧請したと伝えられています。 天正年間(1573〜90)に火災に罹り宝物、記録をことごとく失いましたので由緒はあまり明らかでありませんが、綾部藩の記録によりますと「ここは平重盛の領地なり、治承年中に重盛卿の勧請か」としています。 寛永年間(1632〜43)以来、綾部領主九鬼隆季氏はじめ累代領主の崇敬が厚く社領、財宝の寄進を受けたと伝えられます。また、当社は「綾部郷総社」と言われ綾部郷の九社を拝殿に奉祀しています。したがって、綾部旧町内の秋季大祭は八幡宮が中心神社として斎行し、町内あげて賑やかに執り行われます。 江戸時代から春季大祭には「お田植式」という真似びの神事がありましたが、戦時中より中断していました。平成六年に寛政八年(1796)に書かれた古文書をもとに「お田植式」を復活しましてから、毎年続けて実施しています。
八幡宮には、石凝姥が神鎮まりました聖岩があります。向かって左が男岩、右が女岩の夫婦岩で、中の二つが男の子、女の子の兄弟岩です。
男岩 女岩にしめ縄張れば母の字になる聖岩
女の方は左の男岩を、男の方は右の女岩を礼拝して下さい。一家の平和と繁栄が授けられます。 当神社にあります「斎砂」は岩神様に起因しており、屋敷のまわりを祓っていただくものです。
お田植式由来
田遊び行事は、我が国における重要な農耕儀式の一つで、例年農耕の開始に先立って、その過程を模擬的に演じ豊かな稔りを予祝する呪術的な芸能であります。それらは稲に関わって村里に生まれ育ったものと考えられており、数多い民族芸能の中でも、もっとも原始的なものであります。 京都府内では、一般に御田・御田まつりの名で行われ、なお九ヶ所に伝承されています。 綾部八幡宮のお田植え式は、例年四月三日の例祭に行われていました。しかし、約五十年前までは、原形からは、かなり簡略化した形で継承されていましたが、その後中絶しております。 この行事は、古来より綾部郷の全域の氏神、総鎮守祭礼として各社代表が(二宮、三宮、若宮、熊野、斎宮(味方)、の各社)参集して奉納して参りました。その起源は不明ですが、寛政八年(1796)に記された井倉町福林家に伝わる古文書に、その内容が明確にしかも具体的に記録されておりました。 平成6年4月3日、京都府総合府民部文化芸術室などの援助により、古文書に基づき、一気に二百年前にさかのぼって、可能な限り忠実に再現し、この行事を再興いたしました。 その大要は、翁の面をつけた神職が、暦を見て農耕開始の時期を確かめ、田起こし、牛をひき廻しての田すき、草まき、田ならし、種まき、水あて、鳥追い、苗取り、田植え等と、順にその所作を演じます。 後半の苗取りから、午前午後に分けて行う田植えには、苗、太鼓を入れた唄が歌われて、最後には傘鉾を押し立て、囃しながら神前に練り込み、終幕となります。
平重盛卿直筆による「八幡別宮社大菩薩」扁額
神社所在地
京都府綾部市宮代町明知9番地
アクセス
JR山陰線綾部駅下車徒歩5分
綾部八幡宮宮司 奈島正倫