当神社は、約二千年程前に九州方面から移住してきた南方系の採鉱治金術を知った部族によって創始されたのではないかといわれている。ご神体が蛇骨であったことや、人身御供の伝説があることからも類推される。
その後康平年間(1058〜1065)頃には社殿を造営した。元中8年(1391)には管領細川頼元が篤く当社を崇敬し、地頭吉岡正春の管理をさせた。
天正5年(1577)には、明智光秀が亀岡城を築城するため各地の社寺を取り壊し築城材を集め尽くした時、当社をも壊滅状態にしてしまった。しかし、慶長元年(1596)守護代前田玄以によって復古され、社域89,260平方メートルが寄進され、免除地として今日の河阿神社の社殿配置がほぼつくり上げられた。
元禄8年(1695)8月吉日には、六角石灯籠一基が本殿前に寄進された。
宝永6年(1709)3月吉日に社殿の改築を行い、現在の社殿となる。
天保6年(1835)乙未六月には天下泰平五穀成就村中安全祈願の永大灯一対が鳥居わきに奉納される。
人身御供の長持ちが置かれた台石。毎年ふもとの家々の中からわら屋根に白羽の矢がささった家の娘が人身御供として神前に献上しなければならなかった。
文久3年(1863)亥5月吉(祥日には永代常夜灯一対が本殿前に寄進される。)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
海神(わたつみのみこと)の娘で天照大神の孫として降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子である火火出見尊(ほほでみのみこと)の妻となる。鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の母神。海を司る神。海上神。
鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
火火出見尊(ほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の子。豊玉姫命の妹と同時に育ての親である玉依姫(たまよりひめ)と結婚し、五瀬命・稲氷命・御毛沼命・神倭伊波礼毘古命つまり神武天皇を産む。神武天皇の父神。海神を母とする天孫の子である。海及び水を司る神。
住所:〒621-0036
京都府亀岡市稗田野町柿花宮ノ奥8番地
お問合せ先:0771-22-4549
アクセス:
1)自家用車で
・亀岡ICより国道372号線を西に直進約3キロ
・稗田野神社から国道372号線を西に約1キロ
(2)鉄道
・JR亀岡駅からタクシーで約6km
1月1日
歳旦祭
1月2日
交通安全祈願祭
1月13日
宮の党
8月14日
佐伯郷灯籠祭
10月23日
例祭
12月31日
大祓
生成・豊穣
子孫繁栄
五穀豊穣
祭神二柱が水の神として祀られており、河の源。水上の神として篤い信仰を集める。稗田野神社の五穀の神とも深い関わりがある。
[宮の党(みやのとう)]
当社には宮座をうかがわせる「宮の党」が引き継がれており、毎年1月13日に定例祭を行う。当屋の主が洗米・神酒・鰯・大根・丸餅を決まりに従って調製し、神饌として神前に献じ、氏子の人達の弥栄を祈る。当屋は順次一年毎に交替して勤める。
[佐伯郷灯籠祭(さえきとうろうまつり)]
寛喜元年(1229)朝廷より賜った五基の神燈籠と台燈籠を中心に五穀豊穣祈願の祭りを斎行する。盆行事と豊作の祈願が合わさった特殊な神事として名高い。当社は柿花吉岡の地に御旅所を有し、夏の灯籠祭はここから出発する。灯籠祭では、山内谷は二輪番を勤める事になっている。五穀の豊作を祈願し、河阿の社に七度半の迎えを遣わすという習わしが伝わるが、これも豊かな水の恵を求める切なる願いの象徴であり、山内川の流れにそって広く並河、宇津根に至る佐伯郷に豊かな水の恵を与え続けている当社に重きを置くことが伺われる。
広大な鎮守の森と緑豊な田園に囲まれた河阿神社の遠望