由緒不詳。当社は、木津川の支流山田川の北方で、相楽郡西部のなだらかな丘陵地の東端に位置し、古くから「山田の宮さん」と呼ばれ近隣の人々に親しまれている、旧山田村の産土神である。
遷宮(せんぐう)が応長元年(1311)に行われたことが分かっており、その頃は「植木神社」と称されていたと『山城誌』に記されている。本殿は二柱(ふたはしら:二神の意)を祀(まつ)れるように身舎の正面のみを二間とし、木鼻の渦絵様や、斗(と)きょうの高さ、垂木や桁の反り方など、鎌倉時代から室町時代にかけての建造で、簡素で正統的手法をふまえている。「天文16年(1547)11月13日…」の棟札が発見されている。