わが国の神話に、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉国(ヨミノクニ【死者の国】)から戻られた時、竺紫(ツクシ)の日向(ヒムカノ)橘(タチバナノ)小門之(オドノ)阿波岐原(アワギハラ)で禊(ミソギ)してその罪穢(ツミケガ)れを祓われ、それによって天照大御神(アマテラスオオミカミ)が出現された(『古事記』上巻)ことが語られている。これが禊祓(ミソギハラ)いの始まりです。
神社にお参りすると、入口に手水舎(テミズシャ)があります。先ず手を洗い口を濯(スス)いで罪穢れを落として心身を清浄(セイジョウ)にし、次いで拝殿に進んでお祓いを受け、伊邪那岐命が禊祓いをされた時に出現された祓戸(ハラエド)の大神(オオカミ)の霊力によって、知らず知らずに犯してきた洗っても落ちない罪穢れを祓い清めます。そして神前に額(ヌカ)ずき一心に神に祈れば、心は神に通じ諸願成就(ショガンジョウジュ)するのであります。これは太古からつづく日本人の信仰で、この清浄(セイジョウ)にして曇り無き心が日本人が最も大切にしてきた「まこと」の心、即ち「大和(ヤマト)ごころ」で、民族のアイデンティティの源となっています。
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